伊勢志摩の海女(あま)

伊勢志摩には今でもたくさんの海女が素潜りによって、良質の鮑・さざえ・ウニ・なまこ・海藻類などを獲り、地元の民宿・旅館や関西の高級料亭の外、関東の高級料亭などへ出荷され『伊勢志摩産・・・』と呼ばれます。

伊勢志摩産あわびは、最高級の海の幸を表す冠です。

御潜神事(みかづきしんじ)

伊勢神宮の由緒は、太古の昔、垂仁天皇の御代、皇女の倭姫命(やまとひめのみこと)が神宮の鎮座すところを求めて、伊賀・近江・美濃と各地をめぐり、伊勢国・度会(わたらい)の宇治(うじ)の五十鈴(いすず)川上にこられた時、「この神風の伊勢の国は、常世(とこよ)の浪(なみ)の重浪(しきなみ)の帰(き)する国なり、傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり、この国に居らむとおもう」『日本書紀』という大神さまのおつげがあったので、ここが大御神のお心に最もかなったところとしてお鎮(しず)めになりました。

その場所が今の皇大神宮(内宮:ないくう)です。 垂仁天皇二十六年、今から二千年前のことでした。伊勢は大和からみると太陽の昇る東の地、常世の国(理想郷)であり、また地理的にも山海の幸に恵まれた最良の地であったので、大御神はこの地をお選びになったのでしょう。

伊勢神宮が鎮座の後、ご神饌(神の食事)を奉納する御饌つ国(みけつくに)が必要となり、倭姫が志摩を巡られ国崎(くざき)において海女おべんの差し出す鮑を食され、御神饌に奉納するように申されました。以来、その鮑は熨斗アワビにされ、二千年の永きに渡り奉納して参りました。

熨斗アワビにする鮑を獲るために、神島、答志、和具、菅島、石鏡、国崎、相差、安乗の海女が国崎へ集い一斉に潜りました。それが御潜神事(みかずきしんじ)といわれ明治4年まで続けられていましたが、明治4年11月の御贄献進制度の廃止にともない盛大な神事は熨斗アワビの奉納だけを残し、絶えてしまいました。

2003年パールロードの無料化を機に130年ぶりに復活しました。まさしく海女の祭典であり、この神事の復活は21世紀が女性の時代の幕開けを象徴しているように思います。

AMA DIVERS 御潜神事

相差(おおさつ)の海女は、伊勢志摩一の人数を誇ります。漁場の広さと豊饒の海があればこそ、その人数を維持できるのです。

平成14年調査 東海農政局三重統計情報事務所伊勢出張所編集

相差の海女小屋体験 伊勢志摩 兵吉屋