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美し国の人々一覧
(2)海女の伝統未来へ 世界にも広く紹介
豊かな海に根ざした歴史
鳥羽の海女たちは、冬季もナマコなどを取るためウエットスーツで海に潜る
リアス式海岸の豊かな漁場を持つ伊勢志摩地方は、万葉の時代から海女漁が盛んだ。鳥羽市国崎町は、2000年も前から「熨斗アワビ」を伊勢神宮に献上し、豊富な海の幸に象徴される「美し国」を今に伝えている。
同市浦村町の「海の博物館」の石原義剛館長(71)によると、国内の海女約2000人のうち、半数以上の約1100人が伊勢志摩地方に暮らす。それでも、減少と高齢化は著しい。昭和20年代、同地方の海女は6000人余りに上ったという。
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漁の方法によって、個々で作業する「徒人海女」と、夫婦で協力する「舟人海女」に分かれる。単独で潜水と浮上を繰り返し、獲物を波間に漂う浮輪の網に入れるのが「徒人」、船頭を務める夫と舟に乗り、合図をして命綱で引き揚げてもらうのが「舟人」だ。
鳥羽市相差町で徒人海女をしている野村禮子さん(77)は「祖母も母親も海女だったことから、15歳の頃から海に親しみ、潜り続けてきた」という。同町鯨崎の海女小屋「はちまんかまど」の海女頭。9人の仲間から「禮子ねえさん」と慕われている。寒さの厳しいこの時期も、磯着ならぬウエットスーツに身を包み、海底のサザエやナマコを抱えては海面に浮かぶ。
「息を殺して漁をする作業は危険と隣り合わせ。誰にでもできるわけではない。大昔から受け継がれているところに価値があるのでは」と語る。
海女仲間の孫の女の子が、「私も海女になるんや」と言っているのを聞いた。「うれしいけど、高校を卒業すると、みんな勤めに出て行くんですよ」。厳しい後継者不足の現実を見据えながらも、「若い人たちに、何とか良さを伝えていきたい」と力を込める。
2004年春からは、海女の仕事ぶりや文化を紹介するツアーに協力し、米国からの旅行者らを案内している。昨年は京都の舞妓さんなど、日本の伝統文化を取材しているイギリス人記者が訪ねて来た。取材を受け、潜水漁の被写体となり、「日本の海女を世界に広く知ってもらうことは光栄です。これからも海女の紹介には協力していきたい」と、元気な笑顔を見せた。
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海女を残すことの大切さは、専門家の間でも論議されつつある。昨年8月、石原館長や県水産研究所職員、学識者らによって、「海女研究会」が発足した。優れた素潜りの技術を持つ“専門職”について、調査や研究が始まった。きっかけは、昨年6月に韓国・済州島で開かれた「海女博物館日韓国際学術会議」。日本と韓国にしかない海女文化を、世界遺産の無形遺産に登録しようと連携するのが目的だ。石原館長と鳥羽市答志島の海女2人も出席し、漁具の話や伝統的な踊りなどを通して交流を深めた。
9月には済州島の海女の訪問を受けた。地元の海女らは、「言葉は分からなくても、海が好きという思いは一緒。通じ合えた」と、今後、取り組みがさらに発展することへの期待を膨らませる。
石原館長は「海女は厳しい職業と思われているが、彼女らは『海に出る日は何もかも忘れる。仲間とも気楽に話し合えて楽しい』と話している」と言う。
そして、「地元漁協や自治体も、魚介類が育つ藻場を始め、海中の自然環境を積極的に守り、育てていかなければならない」と指摘する。古里の海が育んだ文化の源は、豊かな磯の資源に根ざしているからだ。
(松下主)
(2009年1月3日 読売新聞)
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